更新日:2023/07/10 (月)
『くもをさがす』から学んだ生きる姿
小説家 西加奈子さんの『くもをさがす』という本を読みました。
テレビでも話題になっていたので、すでに読まれた方もいらっしゃるかもしれません。
カナダに移住中、コロナ禍で、乳がんが発覚。
言語の壁や文化の違いに戸惑いながら、
そして自身の病状、治療、再発への不安や恐怖を抱えながら、
家族や友人に助けられ、
医療スタッフに支えられ、
一日一日を生き抜いていく。
西さんの日々が、その都度抱いた感情や巡らせた思考とともに、
丁寧に、でも重く暗くなりすぎず、時に明るく(関西弁を交えて!)綴られています。
この本を読みながら、いろんなことを感じ、考えさせられましたが、
今回はその中で、印象に残った内容のひとつを。
『私たちは、いや、少なくとも私は勇敢ではない。あらゆることに恐れ、いつもビクビクしながら、でも、生きていたいから、治療を受け続けているのだ。(中略)みっともないほどに死ぬのが怖く、どうしようもないほどに生きていたいからそうしたのだ。』
これは、抗がん剤治療を受けている西さんに向けて、看護師さんや周りの人たちが「君は勇敢だね!」「今誰よりも勇敢に戦っているヒーローだよ!」と言ってくれることに対する本音を書いた部分です。
『怖さを克服するというよりは、怖さを認めながらやる』という表現もされています。
一方で、
『それでもやはり、皆が私たちを「勇敢」だと言ってくれるのは、そして、私たちの生そのものを祝福してくれることは、とても嬉しかった。それは私が、誰かに自分の無毛の頭(※)を見せることを躊躇しないことと、地続きのところにあった。』(※ 抗がん剤の副作用で頭髪が抜け落ちている)
ともあります。
がんに限らず、
自分の身体がいつもと違う…
このままどうにかなってしまうのではないか…
と感じるときはあると思います。
不安感や恐怖心に苛(さいな)まれていると、
もう何をやっても無駄なんじゃないか…と、投げやりな気持ちも出てきたりして、
一人で抱え込んでしまうこともあるかもしれません。
それでも、生きたい、良くなりたい、と願わずにはいられない。
だからこそ、もがきながらも前へ進みます。
確かに、不安や恐れは大きくなりすぎると苦しいですが、
でも、そのような感情はあってもいいものだと、私は思います。
不安や恐れを感じるのは、
生きたい、良くなりたいという「生命力」が、体の奥底に確かに存在するからだと、感じるからです。
そして、「生きたい」「良くなりたい」という衝動は誰にでも備わっており、
この「生命力」がある限り、きっと大丈夫、何とかなる、とも感じます。
私たちの命はそうやって生きて、生き抜いて、今日まで繋がってきているからです。
105歳の長寿を全うされた、元聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生も、ご自身の身体が病で弱っていくのを感じ、死ぬのは怖いと言われていました。
だからこそ、毎朝目が覚めること、新しい一日が始まることが、心から嬉しい、とも。
そして最期まで、残された時間を無駄にせず、与えられた使命をまっとうせんと活動されていました。
何かしらの治療をしている方や、ご自身で食事や運動などに気を配っている方。
自分では何をしたらよいか分からないけれど、誰かに相談している方。
そうではなくとも、
今日、朝起きて、トイレに行き、顔を洗い、歯を磨いた方。
みんな、生きている限り、生きています。
生きる、という行為は、何も特別なことではなくて、日々の何気ない行動ひとつひとつの積み重ね。
特別ではないけれど、一方で当たり前でもなく、素晴らしいこと。
とても勇敢で、生命力あふれること。
生きたいと悩み、生きようともがくことは、
情けないことでも、格好悪いことでもないのです。
西さんは、抗がん剤治療、手術、放射線治療を経て、がんはなくなり治療はいったん終了。
ここまで来れたことに感謝と幸せを噛みしめつつ、でも再び日常が失われる恐怖心はぬぐえないことが書かれています。
自分の中にある恐れを認めつつ、この経験があったからこそ得られたこと、気づけたことを糧に、新しい日常を生きていく、という西さん。
「生きる」ということは、とても有り難いことで、尊敬すべきことで、力強いこと。
ままならない自分、ふがいない自分でも、生きているだけで素晴らしい存在。
恐れや不安を抱きながらも、今を生きる自分の力を信じて、今日を迎えられたことに感謝して、一日一日を精一杯生き抜きたいですね。
[引用文献]
『くもをさがす』西加奈子 著 河出書房新社
『生きていくあなたへ』日野原重明 著 幻冬舎