
更新日:2025/02/18 (火)
ご縁は奇跡の積み重なり
2025年が始まり、早くも2ヶ月が経とうとしています。
来る3月は、卒業式や異動の季節。
年度の終わりに向けて、慌ただしくも少し寂しいような、
しかし、どこか清々しさも感じられるような、
春が訪れる前の、澄んだ空気がただよう季節に感じます。
出逢いと別れ、ご縁、というものについて
いつもより感じることの多い時期でもありますね。
少し話が大きくなりますが、“ご縁”に関連して…
最近読んだ本から、
自分が両親を選んで生まれてきたことや、この世に生まれてきた意味・目的について、改めて考えさせられる機会がありました。
「赤ちゃんは親を選んで生まれてくる」
という話はよく聞きますが、自分自身がそうだった、と確信を持って言える人は、どれくらいいるでしょうか。
本では、胎児記憶(胎内記憶)が残っている幼児との会話をもとに詳しく書かれており、そのような研究も実際に行われているそうで、
「このお父さんとお母さんは優しそう、楽しそう!」
「自分が生まれることによって、二人が仲良く過ごせたらいいな」
「一緒に成長していける人生にしたいな」
「次に生まれる時は〇〇を成し遂げたいから、この両親を選ぼう!」
などと、赤ちゃんによっていろいろあるようです。
大人になった私にはもう、その頃の記憶はありませんが、
きっとそうなのだろう、と思いながら読みました。
ある本の中では、出産にまでたどり着かなかった赤ちゃんについても触れられており、
「お空に忘れ物をしたから」
「お母さんのお腹の中をお掃除してゴミを持ち帰ったから」
などあって、
とても健気で可愛らしく感じるとともに、お腹に命が宿る奇跡とご縁というものについて、深く感じ入りました。

近年では「親ガチャ」という言葉が出てきて、あまり良い意味では使われない言葉でもあり、
悲しく寂しく、残念な気持ちになってしまうのが世の現状でもあるのかもしれません。
子どもたちにそのような言葉を言わせてしまう環境にしてしまっているところは、
大人として省みて正していく必要があるかもしれません。
また大人でも子どもでも、
自分自身が生まれてきたことについてどのように捉え、どのように生きていくのかは、
ある意味自分次第なところもあると思います。
その一方で、この世に生まれてきた全ての命について、
年齢に関係なく、
家族、友人、先生、仕事仲間、近所の人、通りすがりの人など関係なく、
奇跡の賜物であり、とても愛おしい存在であることは、
間違いなく言えると思います。
そして、命と命の出逢いは、奇跡が積み重なったご縁です。
自分がこの世に生まれてきたこと
両親の元に生まれたこと
家族に出逢えたこと
友人、先生、職場の人に出逢えたこと
たくさんの奇跡に囲まれて生きていること
どのような出逢いにも意味があり、学びがあり、全てはご縁であること
年度替わり、少し立ち止まって、
周りの人の顔を思い浮かべ、
赤ちゃんだった頃の自分を思い浮かべ、
奇跡とご縁に「ありがとう」と、命を抱きしめたいですね。
[参考文献]
『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!胎内記憶ガールの日常』竹内文香 著
『おなかの中から始める子育て』池川明 著